秋になると、わが町では造林現場に苗木を植え付ける作業が行われる。
10月とはいえ朝夕は10℃を下回るから、夏に比べ、一枚多めに着込まないと凍えてしまいそうになる。からだが寒さに順応していないためだ。
「いま風向きが変わった!」と、隣でトドマツを植えてるおばちゃんに言うと、「ほんとだ、もう冬だね」と返ってきた。どうやら季節の変わり目が体で分かるというのは、ほんとだったらしい。
たっぷり土の付いた苗木を背負子に150本ものっけて山を駆けまわり、10月の時雨に打ち付けられた泥水を顔に受け、ひたすらクワを振り上げ背中を痛めるこの仕事の一体どこがいいのだと現場の人たちから反感を買うかもしれないが、実に多くの事を学べる植え付け作業が僕は大好きだ。客観的かどうかはともかく、木を植える瞬間の感動的な場面に立ち会えるということは、素晴らしい仕事と思えて、たまらなく嬉しいのだ。
900ミリ間隔で植える。たったこれだけのことが僕に向けて放つこの問いは、簡単なようで難しかった。技術的に一筋縄にいかないのは承知の上、彼らが五〜六十年生き延びられるために必要な、完璧なマネージメントができるようになるまで、僕はきっと多くの命を犠牲にしてしまったことだろう。ましてや慎重な中にも迅速性が求められる作業、1本ゝゝ命の重たさを感じていると言えば嘘になる、経験の浅い僕の場合はとくにそうだ。だから、常にその木の成長を見届けもせず、いつか役に立ってほしいなどと言ったら、はばかられるかもしれない。それでも僕は生涯忘れない、何千本と植えた木のことを。
この世界に入ってからは、幸運にも森づくりのトップシーンで活躍されている先輩達から多くの事を学ぶことができている。その人たちから受けた影響は、愚直にまで植えなければならない、とやっきになっていた4年半前と明らかに異なった今の僕の思想観に表れている。
これからは、根を詰めすぎず、一息つきながら、粘り強い着実な一歩一歩を重ねられるよう、木のように成長してゆきたい。そしていつか自分が植えた木を収穫して、また植えるときに、例えば900ミリ間隔よりも、さらに最適な条件で植える事が、木にとって、人間にとって理想なシステムであると言えるように、根拠ある対象を探求し続け、傾倒していきたいと思う。
私は木を育てる、そして、木は私を成長させてくれる。
言わば、木は私たちの共同体なのである。
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